今じゃ考えられない!バブル期の内定バトル

今回は平成バブル末期の時代の就職活動において、その当時どのようなことがあったのか、自分の実体験や友人たちの話を交えてお話しします。
目次
バブル期は超売り手市場
平成バブルの末期は、いわゆる「超・売り手市場」だったので、学生側はかなり余裕をもって構えていたという印象があります。
たとえば、当時は「インターンシップ」という制度がまだ一般的ではありませんでしたが、数少ないインターンに参加すると、1日につき1万円の謝礼が支給されていました。
さらに、参加するだけで1000円分のテレホンカードをもらえることもありました。今の学生さんはあまり知らないかもしれませんが、昔は公衆電話にカードを差し込んで電話をかけるスタイルだったんですね。ですので、1日に1万1000円分の価値があったことになります。
いくつかのインターンを掛け持ちして、それを夏休みの遊び資金にしていた、という学生も多かったです。
ある企業が優秀な学生を確保するために、内定解禁日になると一気に学生を囲い込み、他の企業に取られないように温泉地に連れて行って遊ばせる、というようなことも行われていたと聞きました(これが本当かどうかは、私も確信はありませんが)。
バブルの時代は、公務員志望の学生はほとんどいませんでした。ある学生が幹部候補生や自衛隊に興味を持ち、説明を聞きに行ったところ、「船に乗ってみないか」と言われ、「乗りたいです!」と返事をしたところ、本当にそのまま船に乗せられて海外に連れて行かれてしまった……というような話もあります。事実かどうかはともかく、そんなエピソードも語り継がれています。
平成バブル期の実体験
インターンで思い出に残っていることといえば、財務諸表を見て問題点を当てるグループディスカッションのようなものがありました。ちょうど私はその内容を勉強していたので、「あ、これはこうだ」と秒で正解を出したんですね。たしか「現金」から「有価証券」へと勘定科目が変わっていたという問題でした。
その後、その企業から内定をいただき、その夜は青山のフレンチレストランでフルコースをご馳走になりました。ワインのテイスティングなどもあり、初めて「香りだけかいで『いらない、変えて』と注文を替える」ようなことを体験しました。あとでその方に「料金見たら、いらないって言った分も加算されてた」と泣き笑いで言われたのも印象に残っています。
また、赤坂の串揚げ屋さんなどでもよく食事をご馳走になりました。証券会社に入った学生の中には、「初任給よりもボーナスの方が多かった」という話も聞きました。さらに、デスクの上に立って電話をかけていた、というような武勇伝もあったくらいです。
こういった「美味しい時代」の話をすると、いわゆる就職氷河期の学生たちからは「ずるい」と怒られることもありました。
バブル崩壊後は・・・
ただ、皆が皆、上手くいったわけではありません。多くの学生が20社以上から内定をもらい、その中から選ぶという贅沢な時代でしたが、バブル崩壊後は一転します。
バブル世代の新入社員たちは「目が死んでいる」と言われたり、学生時代に天狗になっていたことが原因で、最初のリストラ対象になったりもしました。
私の同級生にもさまざまな例がありました。たとえば、山一証券(今はもう存在しませんが、当時は野村証券に次ぐ大手)に入った学生がいました。1人はエリート意識が非常に高く、調子に乗っていたタイプで、もう1人は地味で大人しい性格でした。前者は後にリストラされて音信不通となり、後者はディーリングルームで専門的な仕事をこなしていたことで企業に残るよう言われ、結果的に高い評価を得ることになりました。
民間企業を取り巻く状況も、現在に似たような兆しが見え始めているように思います。
まとめ
今回の話を通して「景気には波があり、良い時代も悪い時代もある」ということを知っていただければと思います。私は就職氷河期の学生たちも面接してきましたし、そのつらさも目の当たりにしてきました。
運もあるかもしれませんが、大事なのは、その中でどう対応していくかです。今日のお話がこのチャンネルに掲載されるかどうかは分かりませんが、一応、バブル期に就職活動を経験した人間の記録として残しておきたいと思います。
今回のブログの内容の動画はこちら↓